寒さも一際身に染む、師走の中旬―――
文字通り師匠も走るほど忙しいこの季節じゃなくても、
常に仕事で忙しい大阪屋敷に滞在する石田治部小輔三成の元に一通の文が届いた。
差出人は旧知の間柄である小西摂津守行長。
文の内容は以下の通り――――
拝啓 石田治部少輔三成殿
厳寒の候、如何お過ごしですか。
急な話ですが、師走の二十五日に大谷刑部少輔と其方にお邪魔させて貰います。
小西摂津守行長
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たったこれだけしか書かれていない文。
行長は商人の出のせいか口はよく回るくせに、手紙だと酷く素気無くなる性質なのだ。
以前にその事を聞いてみた所、当人曰く
『話す時は相手がいるから言いたい事が次から次に溢れて来ますけど、
手紙だと伝えたい以上の事が考え付かないのです。
………まぁ、世辞やら何やらなら浮かびますけど、佐吉はそういうの嫌いでしょ?』
それを知っている上に、行長以上に輪をかけて口も態度も文も素気無いのが石田三成という人で…。
そんな三成の返事は以下の通り――――
謹啓 摂津守
了承した。貴殿等の来訪を心待ちにしている。
治部
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時はあっという間に過ぎ、師走の二十五日――――
仕事の合間合間に、二人の旧知を出迎える準備を整えて、後は彼らが訪れるのを待つだけ…
その状態になって一刻後の夕暮れ時に二人は石田屋敷の門を潜った。
「遠路遥々よく来たな、弥九郎。紀之介、病の方は大丈夫か?」
「出迎え有難う、佐吉。病の方は近頃は大分大人しい、心配させてすまない」
「佐吉、いきなり押し掛けてすみませんね。あ、これ、お土産です」
にこにこ笑いながら行長が小姓に持たせていた土産を三成に手渡す。
手渡されたそれ―――緑色の細い瓶の中に暗い色の何かが入ってるのをしげしげ見つめて、三成は
「弥九郎、これは一体なんだ?」
と尋ねた。行長は
「南蛮の酒ですよ。殿下に献上した物の余りで悪いですけれど…」
「南蛮の酒か……」
もう一度軽く眺めてから、三成は気付いたように顔を上げて
「すまない、このような所で話し込んで…。中に案内しよう」
と二人を屋敷の中へと案内した。
冬至も過ぎた冬の日は短く、日が落ちれば北の方とは比べ物にもならぬだろうがしんと冷え込む。
だが石田屋敷は珍しく、煌々と明りが灯り、暖かな雰囲気に包まれていた。
それは節約家で無愛想な三成の友たちへの歓迎の証。
華美でも豪奢でもないけれども、心尽くしの持て成しは不器用な三成の、出来る限りの歓待なのだ。
もちろん付き合いの長さも重なり、そんな三成を知っていて好意を抱いている吉継や行長は、
その弟分の精一杯がいじらしくも愛しく感じるのだ。
談笑を交えながらの食事も終わり、行長が持ち込んだ土産の洋酒―――葡萄酒を飲みながら、三成は二人に聞いた。
「そう言えば何故、お前達は今日来たんだ?」
酒に弱い三成は夜目にも分かるほど、ほんのり頬を桃色に染めて二人を見る。
先に答えたのは顔色が全く変わっていない吉継。
「ああ、それは俺も知りたい」
「紀之介も知らないのか?」
「今月の頭にこいつから文が来てな」
詳しいことは知らん、といってから、喉の渇きを癒すかのように一息で葡萄酒を煽る吉継。
それを見て、
「わーぁ、紀之介さんいーい飲みっぷりーぃ」
けらけら笑うのは行長。彼も吉継と同じく顔色は全く変わっていないが、常以上に上機嫌で葡萄酒を口にしている。
「弥九郎、何故だ?」
「んー?あー、何ですっけ?」
三成の少し尖った瞳に、思いっきり潤んだ瞳で返す行長。
三成の機嫌がすっと悪い方へ動く前に、吉継が言葉を次いだ。
「何故、今日ここに来たか、だ…というか弥九郎、飲みすぎだぞ」
ひょいと行長の手から杯を奪う吉継に、行長は「あー」と酔っ払い特有の意味のない言葉を口にしたが
取り返そうともがいたりはせずに、相変わらず楽しそうにふわふわと笑っている。
「あー、あのですねぇ、今日はナタラなのですよー」
「「ナタラ?」」
聞きなれない言葉に三成と吉継は同時に行長の言葉を繰り返した。行長はそれすら可笑しいのか、また笑う。
「うふふ、ふふ。相変わらず佐吉と紀之介は仲がいいですねぇ。ちょっとうらやましいですぅ」
「ナタラとは何なのだ?」
ことり、と小首を傾げて聞きなおしたのは三成。
珍しく素直で幼い…正気の三成ならまずしないその行動に、吉継は軽く頭を抑えた。
―――この二人が酔った場合、面倒を見るのは吉継の役目なのだ。
そんな吉継の様子に気付かない酔っ払い・行長は、肴としてあった烏賊の塩辛をつまみつつ話し出した。
「ナタラというのはですねぇ、でうずさまがこの世に出でた日といわれているのですよぉ」
「でうず………耶蘇教の神の事か?そう言えば、弥九郎は」
「はいー、切支丹ですよ」
とろんとした瞳でけらけら笑う行長を見て、三成はおもしろくなさそうな顔をした。
元々三成は寺に預けられていたのだが、生来の気質からか酷く現実主義な所があって、
仏教、神道、そして耶蘇教全てにおいて興味がないし、またそれを信仰する信者の気持ちに疎い所がある。
だが三成は大抵の事に関しては、「別に解せんが、人の勝手」という放任主義が基本の考えなので、
現在不機嫌そうな面をしているのは、
単純に兄貴分が自分の知らないそれを慕っているのが面白くないだけだと吉継にはわかっている。
行長もわかっているはずなのだが、相当酔いが回っているのかふわふわと笑っているだけである。
「本来ならですねぇ、家族と静かに過ごさなきゃいけないんですがー、
殿下に報告しなければいけないことがありましてぇ、こちらに出向いたんですー。
攝津に戻るのは無理なんで、だったら紀之介さんと佐吉と楽しく飲もうかなぁって思ったんですよー。
2人とも、私にとっては可愛い弟分……いわば家族同然ですしねぇ」
そういってふんわりと優しく微笑む行長に、思わず面食らったのはただ一人、素面の吉継。
行長と同じ酔っ払いの三成は、その言葉に真っ赤な頬をさらに赤くして、そっぽを向いてぼそぼそ小さく言った。
「……俺も、紀之介と弥九郎は…実の兄、とも……思っている」
その発言に行長はほにゃらと笑い、吉継は悟った。
こいつら、完全に酔ってやがる
と
――――元々、不器用で大して彼を知らない人からすれば、
横柄とも取れるほど飾らない行動しかしない三成もそうだが、
常日頃から人当たりがよく(対清正時は別)、穏やかそうに見える行長も決して素直な人種ではない。
穏やかそうは、あくまで「そう」で、穏やかではないのである。
行長の本質を知っているのは吉継、三成の他は、長浜時代で付き合いがあった清正、正則、嘉明。
また、古くから家族同士の付き合いがある宇喜多の関係くらいではないだろうか。
吉継は本格的に痛み出したこめかみをそっと押さえる。
(これ、明日正気に戻ったときに記憶があったら、佐吉は確実に憤死する……)
酒精の勢いで本心を吐露した記憶が残っていたら、人一倍恥ずかしがり屋な三成の事だ。
どれだけ気に悩むか目に見えてわかる。そしてその被害は三成を慕う家臣団に行くだろう事も容易に分かる。
(……まぁ、渡辺殿も島殿も佐吉には甘いから、
その八つ当たりすら可愛がって、でろでろに甘やかすのはわかるのだが)
元服もとうに済ました大人の男としては考え物の未来予想に、吉継は内心ため息をついた。
(一応、酒量は抑えていたのだが……)
ちらり、と己の持つ杯の中身を見つめる。深い闇にも似たとろみのある紅が難しい顔をした吉継を写していた。
(慣れぬ酒に2人とも飲まれたか……)
ならば、と吉継は取り上げていた杯を行長に返した。そして間髪入れずに酒を注ぐ。
「わっ……紀之介はんが珍しい事しはる〜」
ついに普段なら封印している訛りまで口にし出した行長に、吉継は笑って答えた。
「……今日はナタラとやらで、お祭りなんだろう?特別だ」
「や〜ん、紀之介はん、おおきに〜〜」
「紀之介ぇ、俺にも注いでくれるか?」
「珍しいな、佐吉が酒を強請るとは」
「これは甘くて気に入った」
楽しげに杯を酌み交わす2人を見て、吉継は笑う。
この調子なら今日の記憶もないほどに2人は飲みつぶれるに違いない。
(全く、困った兄者と弟だな……)
そんな胸のうちを胃に流すように、吉継もまた己の杯に満ちている葡萄酒を煽るのであった。
―――――聖なる夜、冬の宴はまだ終わらない
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