───行けっ、者ども恐れるな!

───狙うは、太閣殿下の世を蹂躙せんとする内府が首よ!!

───『御報告申し上げます!小早川金吾中納言様の軍が大谷刑部様の軍へ攻撃……裏切りで御座います!!』

───何だと………!?金吾の奴め…太閣殿下の御恩を忘れたか!!良いだろう……私が直々に奴の首を刎ねてやる!!馬を引けっ!!!

───『御報告申し上げます!小早川金吾中納言様に続き、続々と御味方裏切りとの事!』

───………忘恩の、畜生にも劣る者共め……!!!
    かくなる上は、私がその畜生以下の首頭を刎ねて、泉下の太閤殿下に顔向けしてもわからぬような惨状にしてやろう………!

───『御曹司、出てはなりませぬ!!』

───えぇい、止めるな明石……!!離せっ……離さぬか…!!!

───『御報告申し上げます!大谷刑部様、御自害なされたとの事。もはや西軍は壊滅状態、この陣ももう危のう御座います!!』

―――明石、離せ!!私は行かねばならぬっ……!!刑部は死ぬまで戦った!摂津が、治部がまだ戦っている………!!
    私はまだ戦っていない!!まだ、まだ、西軍は負けてはいない……!!私がこの戦の流れを変え……!!

―――『御報告申し上げます!小西摂津守様、石田治部少輔様、敗走!!』



ああ、それらは既に遠い昔だ







『秀家様』

ボウッと、灯が燈された様に耳朶に滑りこんだは懐かしき声音。
暗闇の中、ゆるりと振り返れば、淡い光を纏ったこれまた懐かしき姿態。
その姿態は最後に見た戦前の四十過ぎの武者姿ではなく、
自分の中の一番優しい記憶―――
二人の父に慈しまれ、また豊家の安寧を疑うという事すら知らなかった幼い頃に、
父と義父の間を取り持つように忙しなく動いていた彼の足元に纏わりついていた時の……二十代頃の若い姿態だ。
最も対峙する己は幼い時分とは違い、関ヶ原の頃かその少し前の姿態だから、何処かくすぐったい違和感が首の当たりにある。
殆ど水平に位置する彼の人の瞳をしっかり見据えて、秀家は名を呼んだ。

「弥九郎」
『お久しぶりです秀家様、お元気そうで何よりです』
「お前も元気そうだな」

笑顔で挨拶する彼にそう言えば、くすくすと笑いながら、幼子のように頭をくしゃりと撫でられて

『まぁ、悪くもなりようがありませんしねぇ。何せ死者ですので』

と言われ、秀家はわかっていながらも

(ああ、ここは彼岸と此岸の境目か)

とぼんやりと理解した。それでも三途の水音はおろか、川原の石の感触、懸衣翁・奪衣婆などは見えず、
ほのかに光り輝く弥九郎と秀家以外は何も存在せず、ぽっかりとただただ闇を広げている。

『昨年も一年、御息災の様で何よりです。やはり体が資本ですからね。ああ、今年は暑くなりそうですから御体には気をつけて下さいよ』
「そういうお前はどうなのだ?主計上殿と喧嘩していたりして、刑部殿を困らせていたりはしないか?」
『……………秀家様も口が回るようになりましたな。
 成長なされて嬉しいやら、「弥九郎、弥九郎」とおっしゃってた頃の可愛げがなくなって寂しいやら……正直、複雑です』
「私とてもういい大人だ!」

(『お前が死んだ年よりも私の年はとっくに上になってしまった』)

喉からその言葉は出ずに引っかかったまま、秀家は弥九郎から視線をついと逸らした。

逸らした先には、ただただ底無しの闇。だがその闇が、確かに歪んだ。
それは現の世と彼岸の世界を分かつ、警鐘。

『ああ、もう時間ですね』

それを見た弥九郎の声は穏やかで、視線を戻せばやはり先ほどから変わらない柔らかな笑み。

『では、秀家様、ご機嫌よう。またこの時期にお会いできる事を楽しみにしておりますよ』
「弥九郎!!」

背を向け去ろうとする弥九郎の手を思わず握れば、骨の髄まで寒気が走るほど冷たい―――死人の温度。
思わず手を離せば、どこか寂しげな視線とかち合った。
その色のまま笑めば、幽鬼という存在に似つかわしくないほどに儚さが増した。

『………まだ、秀家様は此方に来るには、少々早いです』





―――――ですから、今しばらくはお別れです。また来年のこの時期に……―――――




その声と重なるように、遠くで不如帰の声がした。








瞳を開ければ、調度覗きこむようにして顔を近づけていた少女…と言うには年嵩だが女と言うにはまだ幼い、そんな娘と視線が合った。
いきなり目覚めた彼の人に驚いたか、息が掛かるほどの間近にいながらも身じろぎ一つしない娘に秀家は声をかけた。

「………おつう」
「……………………宇喜多、様?えっ、あっ、きゃああああ、すみませぬすみませぬすみませぬ!!!!!」

名を呼ばれて、ようやっと現状を飲み込めたのか娘―――秀家の世話役を引き受けてる島の娘で名を「鶴」と言うが、
秀家は親しみを込めて「おつう」と呼んでいる、は飛び跳ねるように秀家から距離をとった。

「申し訳御座いませぬ……!!ご無礼を……!!」
「いや、良い。気にするな」

そう言って起き上がれば、ミシリと体が軋んだ。手を見れば、皺がれて小さくなった老人の手。
―――数十年前は、太刀を持ち、日の本を二つに分けた大戦に出たとは思えないほど、枯れ細った手だ。


キョッキョッ キョキョキョキョ!キョッキョッ キョキョキョキョ!!




ぼんやりと懐古していた秀家の耳に入ってきたのは、けたたましい不如帰の鳴き声。
つんざくような喧しい声ながらも、何処か切羽詰った切なさが胸に過る。

「あ、今年も一番に宇喜多様のお庭に来ましたね、テッペンカケタカ」
「……不如帰、だ」
「ホトトギス?でも鳴き声は「テッペンカケタカ」ですよ??」
「……雀は「スズメ」とは鳴かんだろう?それと同じだ。他の呼びだと子規ともよく言う」
「あ、なるほど………で、テッペンカケタカはホトトギスでシキ……?」
「…………とりあえずは不如帰で覚えておけばよい」

秀家のその言葉に笑って「はい!」と返事をしてから、鶴は障子を開けて、部屋に朝日を取り込んだ。卯月と言えどもまだ朝方は寒い。
その刺すような朝の冷気の中、庭の梅に留まっていた子規を秀家の眼が捉えたが刹那、それは高く鳴きながら庭から飛び去った。
声と共に庭に残されたのは、ひらり、と毀れた紅梅の花弁。






「おつうよ」
「何ですか、宇喜多様?」

着替えをすませ、鶴の作った朝餉を食し終わった後、
ここ数年体調が芳しくない秀家が服用している薬湯と口直しの白湯を持ってきた鶴に秀家は気になっていた事を問いた。

「先ほどの「今年も一番に」とは何のことだ?」
「先ほど……ああ、テッペ…じゃない、ホトトギスの事で御座りまするか?」
「ああ、その事だ」

鶴は薬湯を秀家に渡してから、彼の疑問に答えた。

「以前にととさまとかかさまが仰っておりました。
 宇喜多様が島に来てからは、テ…ホトトギスの初音は宇喜多様のお屋敷のお庭からする、と」

「……ほう?」

半信半疑の、訝しげな声を出してから、秀家は一息に薬湯を煽る。
青臭い、苦みばしったその味に眉を潜めれば、直に差し出されるは鶴の手に収まった白湯。
それを受け取り、口内の苦味を喉に押し流してから、秀家は碗と共に更なる疑問を返した。

「だがそれは流石に在り得ないだろう、不如帰は宵にも鳴く鳥ぞ」
「ですから宇喜多様がいらしてから、島のホトトギスは朝に鳴くようになった、と聞いております。
 それに古くの事は分かりませぬが、今年は宇喜多様のお庭でホトトギスが初音を聞けたのは真で御座りまする」

そう話を纏められた挙句ににっこりと笑われて、秀家は反論する手立てを失って、小さく笑った。

「……平安の世なら、私は貴人たちに恨まれただろうな」
「まぁ、何故に御座りまするか?」
「平安の世の時、貴人達は挙って不如帰の初音を聞こうと夜を徹して初音を待っていたと聞く。まぁ、縁起物だな」
「そうなので御座りまするか?…宇喜多様は鶴が知らぬ事をたくさん知っておりまするね」
「……これでも、お前の倍の倍は生きておるからな」

優しい瞳で鶴を見つめて、くしゃりと頭を撫でる。その仕草が夢の中での彼の仕草に重なって、一瞬胸が詰まった。
だが鶴はそんな様子に気付かず、頬を微かに染めて幼子の様に嬉しそうに頭を撫でられている。

「宇喜多様、今日は暖かいですから、お外に出てみては如何でしょうか?」
「……そうだな、今日は体調もいい。おつう、着いてきて貰えるか?」
「はい!少々、お待ち下さいませ、ただ今羽織を持ってまいりまする!」

老いた為かこの所、めっきり外に出なくなった秀家の色いい返事に、鶴は満面喜色となって、
気の変わらぬ内に、と朝餉の膳と薬湯と白湯の入っていた碗を抱え、部屋から出て行く。
パタパタパタ、という忙しない足音が廊下だけでなく部屋にまで聞こえてきて、秀家は苦笑した。


キョッキョッ キョキョキョキョ……


何処かから不如帰の声がした。
振り向き、庭を見渡しても、老いた眼では細かな所までは探れず、ただ声だけが耳を擽る。

キョッキョッ キョキョキョキョ……キョッキョッ キョキョキョキョ…


「……弥九郎、まだお前は私を呼んではくれないのか…」

キョッキョッ キョキョキョキョ、キョッキョッ キョキョキョキョ…



秀家の呟きは、狂ったように囀る冥府と現世を行き来する鳥が音に掻き消された。







不如帰は常と同じく草木萌ゆる春に訪れ、暑い夏の大気をその声音で震わせ、恵みの秋に姿を消した。
弥九朗の言葉通りに今年の夏は例年に比べ、日差しが厳しく降り注ぎ、激しく島を攻め立てた。
それは秀家の衰えた体をも容赦なく蝕み、秋になっても猛暑に萎えた体力は回復せず、
鶴が心を砕いて、秀家の介抱に手を尽くすも、ただただ衰弱するばかりで、
秋の終わりになる頃には起き上がる事も出来なくなり、長月に入ってからは満足に物を口にすることすら出来なくなっていた。

その月の二十日、六花が舞い降りそうに凍えた宵の日。
突然、秀家が血を吐きそうなほど噎せび出した。
それは遠い夏の日に、島に響いていた不如帰の強烈な鳴き声に似ているほど、激しく、烈しく。
鶴は慌てて

「お医者を呼んできます!!」

とだけ言い残し、満足に服も調えず寝巻きのまま、羽織も羽織らずに寒空の下へと駆け出した。
その慌てぶりに心配しつつも微笑ましくも思うが、喉から毀れるのは激しい堰。
夏の暑気に中ってから回復していない、老いて痩せ細った体は堰をする度、軋むように激しく痛む。
その苦しみに息を詰まらせ、また咳き込み…と、悪循環に陥っていた。
ふと、気付けば体が軽くなって、痛みが治まった。
胸元を掻き抱いていた手を見てみれば、しわがれた小さい手でなく、
数十年前の、太刀も、豊家の安寧も、宇喜多も全て握っていた頃の瑞々しい手。
気配を感じ、顔を上げればそこには予想通りのその人がいた。

『秀家様……』
「弥九郎……」

名を呼べば、笑んだままくしゃりと歪むその顔。
瞳は零れそうなほど、揺れさざめいている。

『来て、しまいましたか……』
「ああ」
『……弥九郎はまだ、来て欲しくなかったです。
 …まだまだ生きて、もっともっと幸せになって欲しかった。でも』


―――八郎様が来てくれて、嬉しいと感じる自分がいるのです…―――




―――長かった。あの戦に負け、お前が死に、宇喜多が断絶し、豪と離れこの島に流され……」
『それでも、生きていれば何とでもなります』
「ああ、そうだな。内府が死に、世が動き…、流された身でありながら私はこの島に受け入れられ、幸せだった。
 だがな、弥九郎」

―――お前がいない時間は、長かった―――



『……八郎様…!!』

堪え切れずに弥九郎の頬を濡らすは涙。
どちらが年上かわからぬな、と言いながら頬を拭ってやれば、熱い涙が指を濡らす。
その熱さでようやっと、同じ存在になったのだと感じ取れた。
後悔や恐れは全くない。本当ならもっと早くに来るべき場所だったのだ。
実際は予想外に事が進んだため、長い時間が掛かって今となっただけで。
その間、この人は毎年毎年、不如帰となっては夢に訪れ、「秀家に幸あれ」と初音を囀らせていたのだ。
毎年、夢で会い、ただ一人現世に残された彼の為に幸せを歌う。
それはどんな気持ちであっただろうか。
秀家にはわからない、それは弥九郎にしかわからないだろう。
だからほろほろと涙を零す彼の頭を掻き撫で、秀家はただこう言った。


「待たせてすまぬな、弥九郎。これからは共にいよう」






吐く息が白く、残像として残る道を鶴は走っていた。
島で唯一のお医者を叩き起こせば、「支度があるから、先に秀家の元へ戻っていろ」と指示されたからだ。

(まずは火を起こして、湯を焚き、新しい寝巻きを用意して…………)

先に戻り、お医者から「用意をしておけ」と言われた事を頭の内で反復する。
痛むほど冷たい大地の感触が、草履から剥き出しの素足へと駆け上がってくるのも気にせずに、鶴は走る。
吐く息が熱い内から白く凍り、赤い頬を擽っていく。
星々は清かな宵闇に冷たく煌き、鶴の足元を朧に照らしていた。
静かであった。
聞こえる音は微かな森のざわめきに、木枯らしの風、それから鶴の吐く息遣いと足音だけの静かな宵だった。



キョッキョッ キョキョキョキョ キョッキョッ キョキョキョキョ!





不意に、鶴の耳にその高らかな鳴き声が入った。
春に訪れ、夏に囀り、秋に帰った、冬には耳にするはずのない、不如帰の声が。
思わず立ち止まり、辺りの森を見渡す。
星灯りがあるとはいえ、鬱蒼とした森は暗く、いくら若い鶴と言えどもよくは見えない。
あの人が―――優しくて、知識の深い秀家が教えてくれた不如帰という名の鳥だと確信するには景色があまりに寒々しく、
だからと言って気のせいかと一蹴する事の出来ぬくらい、はっきりと鼓膜を振るわせたその鳴き声。

キョッキョッ キョキョキョキョ…!!



その声と共に背後からバサリ、と木々が揺れる音がして、反射的に振り返る。
鶴は咄嗟に闇夜に翻る、鳥の姿を思い描いていたら―――

「……え?」

そこには見知らぬ二人の青年。
見た事のないほど豪奢な甲冑に身を包み、穏やかに笑んで鶴を見ていた。
青年の一人が音も立てずに鶴に近寄り、頭を撫でた。
その手は冬の夜に染まった鶴よりもなお冷たく、けれど手つきは優しく懐かしい。

『おつう、今まで有難う。幸せに生きよ』

声は大気を震わせずに、鶴の耳に直接吹き込まれたように不思議な響きであった。
若々しく、男ぶりがいいその姿態に似つかわしい甘いその声に覚えなどなかったが、
口調、雰囲気はよく知っているその人そのもので、鶴は、ああ、逝ってしまうのだと理屈じゃなく確信を持ってしまった。
後ろに控えている青年―――人のよさそうなその人を見据えて、鶴は礼をした。

「……宇喜多様を、宜しく頼みます」
『…はい』

その声が優しくて、温かくて、あまりに真っ直ぐで―――思わず瞳から涙が零れた。
涙が地表に落ちると同時に、もう一度高く鳴いたは不如帰。


―――――冬空の下に残ったのは、小さな娘と冥府へ旅立った鳥の残響。




後書き
西軍武将で最長寿を全うした秀家坊ちゃんと行長のお話でしたー。……ちょっと秀家×行長っぽいですが(苦笑)
鶴ちゃん出張ったのは予想外でしたが(待て)、いやー書いてて楽しかったですがね、あのよーな娘さんは!!
実際にいたのか知りませんが、世話役の人とか。でも流人とはいえ元は五大老の一人、それなりの御付はいたと推測。
(や、決して島の嬢ちゃんじゃなくもっとマジメな人が……)


不如帰といったら天下人3人の「鳴かぬなら ○○○○○○○ 不如帰」が有名ですねー。
後、無双エンパのキャッチコピー?が「鳴け 不如帰」でしたし。
授業で『不如帰はあの世とこの世を渡る鳥』と聞いて、実際に私それでその授業のレポート書いたんですよねぇ。
学び事 きちんと活用 それが王道
(わけわかんない歌詠んでるんじゃないよ)

古代の文学上において不如帰は春に訪れ、秋に去り、
鳴き声を聞いて死んだ人を想ったり、他にも鳴き声の激しさから恋愛の苦しみなどを表すっぽいです。
あの世とこの世を渡る鳥ってだけでもう浪漫(待て)

タイトルの「御霊迎の鳥」は不如帰の異称・たまむかえどり(漢字不明)からです。
魂迎かどうかは謎ですが、古来、蝶・蛍は霊魂と言われてましたし、きっと鳥も霊魂と結びが強いのでしょう。       神無ノ鳥とか思い出した人、お友達になりましょう(待て)

07/02/14/up



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