後世から見て劇的に「歴史が動いた瞬間」というものは意外と少ない

多くの時間とともに歴史は移ろうからだ

それでも、少ないながらも「その時、歴史が動いた瞬間」というものは存在する

そしてまた、その存在と等しく、

「歴史の歯車を動かした人物」も存在する


―――歴史と言う抗うには偉大すぎる流れに対して、果たしてその人物は、自らの歯車を狂わせたか、否か―――



その男は、凡庸な男であった。
悪しき者でもなく、善人でもなかった。
現世において特に秀でた事もない、本来ならば巷で転がっていて、
普通に愛され、普通に疎まれ、身近な人に見取られて死んでいくような性質の男であった。





ただ、
彼の叔母が天下人の妻でなければ、
彼が一時でも天下人の後継者と認識されなければ、

歴史と言う絶対的な獣に魅入られる事はなかっただろうに




不幸な時代であった、不幸な人であった


同質の男が蠢く時勢で、彼だけが歯車を動かせて、また歴史に背を押される形で動かした男



金吾中納言・小早川 秀秋



それがその男の名前である






―――後の世において、天下分け目の合戦と謡われる、関ヶ原の戦から早2年。
岡山藩・岡山城の天守の一室にその男はいた。
神が国帰りして半ばほど過ぎた月となれば、日輪が照っている間も仄かに寒い。
増して、日輪が隠れて月輪が冴えた影を降り注いでいる戌の刻となれば、寒さは一層身に染みる。
そんな中、男は火鉢も置かず、ただ数本の燭台を部屋に置き、小さな膳を前に舐めるように酒を飲んでいた。
灯によって壁に描かれる影絵は細く、照らされた姿かたちもまだ若い。
髪は結われておらず流すがままになっており、酒を口にする表情は幽鬼の如く、
人としての温みが欠落していて、闇にも光る黒い眼窩はまるで奈落の穴の様に見えるほどだ。
然し身につけているものは風体に合わず豪奢な着物で、羽織もまた職人でも感嘆の息を漏らすだろう程に凝らした一品。
―――酷く不気味な空間だった。

ゆらり、と微かな夜風で炎が揺れる。
己の影絵がそれによってひしゃいだのを見て、男は笑った。
「ク、クク……クククク…ハハ……」
天井を仰いだ際に見えた喉は、日に当たった事など無いような白さ。
……いや、猪口を持つ指先も、長い前髪が落ちる顔面も、艶やかな打掛のような着物に包まれた痩躯も、皆、異様なほどに白かった。
「俺はいったい、何だったのだろうなぁ」
病的なまでに白い男―――秀秋は謡う様に呟き、柔らかな灯に照らされても青白い唇に猪口をつける。
唇を浸すように酒を舐め、口を離せば青白いそれは酒でテラテラ光っていた。
何処か恍惚とした趣の表情で、秀秋は今にも消えそうな燭台しか置かれていない片隅を見やる。
「のぉ、刑部。俺はいったい、何だったのだろうな」
誰もいないその片隅に向かって、蕩ける様な甘さで言葉を紡ぐ。
だが、何もいない片隅は当然答えることなく、ただジジ…と燭台が己が役目を果たそうとする音のみが返る。
それに何かを感じたのか―――それとも、秀秋には刑部こと先の戦で自害した大谷刑部少輔吉継の霊が見えているのか、
愉快そうに声を上げて笑って、また酒を煽る。口の端から酒が零れて、つと白い肌を滑り着物に染みた。
―――傍に小姓や家臣がいたら、きっとこの年若い城主の言葉を諌めていただろう。
関ヶ原にて大谷隊を攻撃したのは紛れも無い秀秋で、死の間際に吉継は

『金吾めは人面獣心なり、三年の間に祟りをなさん』


と呪いの言葉を吐いて自害したと言われている。
だが、秀秋の言動は、わざわざ死者を霊魂を逆撫でるような言動を…と眉を潜めそうなほど遠慮も配慮もない。
それに何故静止が掛からないか…………
答えは唯一つ、真実ここに秀秋の他に誰もいないからだ。
家臣はもちろん、小姓ですら彼の傍に侍っていない。何故か?

関ヶ原の戦から2年。
その間に小早川秀秋は狂っていたのだ。




臣も寄りつけないほどに、豊臣の縁者たるこの男は徳川の世にて狂うていた。





正直な話、秀秋は2年前程…あの戦からの記憶が酷く曖昧である。
論理立てて思考出来たのは戦の前。その後からの思考は霞みかかった様に朧で、でも鮮明に意識として残っている感覚。
意識はある、この淀んだ世にて明瞭なほどに。
だが、己の指先一つ動かせない。
動かしているのは何か他の―――人の身では太刀打ち出来な強大な力が秀秋の体を傀儡として、
『小早川金吾中納言秀秋』として世を渡っているように思えた。


―――秀秋は関ヶ原の戦に疑問を抱いていた。
徳川家康が豊臣の天下を狙う、だから石田治部少輔三成が挙兵した。
だが豊臣の後援は無い、先頭に立ったのは実質は石田治部といえども名目上は毛利。
誰のための戦だ?何のための戦だ??
石田治部が守ろうとする豊臣の天下とは、果たして彼の言う義なのか?



――――優しかった叔父――――


(だが後年は野心に狂い、酷く民や国を傷つけた)

――――可愛い従兄弟――――


(しかし未だ幼い彼は、城壁の中に目と耳を塞がれている)

――――明るかった叔母――――


(彼女の手ずから育てた加藤主計頭や福島左衛門大夫は徳川へと下った)


義とは何だ……?
無茶な政策、幼い君主…………豊臣の世を、民は望んでいるのか?
だからと言って、叔父が死んで直に天下を狙って牙を剥いた徳川に好感を持っている訳ではない。
秀秋は若かった。それゆえに割り切れぬ思いを抱いていた。


若かった。
だが、それが言い訳になるような時代ではなかった。


松尾山に構えていた陣から上がった狼煙を見ても、容易に思いの決着はつかずにただ流れる時間。
徳川も、石田も、天下も、青年は選べない。

徳川につけば可愛らしい甥を敵と見做さなければならず、
石田につけばこの乱れに乱れた悪を豊臣の治世として後世まで残さなければいけない。

(いっそ天下などなくなればよいものを……)
戦国乱世、乱れに乱れたこの世界において、彼は信念を持てず、そして情を捨てる事が出来なかった。


そんな微温湯の様な空間に、一発の銃声。


重々しく、歯車が動き出した音が耳元で響いた。





それからの事は酷く曖昧で、口から出る言葉も動く手足も己が指示したものではなくて、
何かによって動かされ、喋らされ、行動させられているような感覚だ。
喚いても、もがいても、感覚は消えずに秀秋を蝕んだ。

『山を降りよ!東軍へ加勢する!!』
『手始めに大谷隊を討つぞ、兵よ行け!!』

『義は治部に在らず、内府殿に在り!!!!』


口から零れる心なき言葉は戦場を揺るがし、万里へ渡る。
西軍でも一、二を競う大群の寝返りは、他の軍にも呼応し、戦況は熾烈と混乱を極め――――


―――――夕刻には全ては決していた







歴史と言う強大で極大な獣が魅入ったのは、
敗者の石田治部でも、勝者の徳川内府でもない。

この凡庸で、幼いともいえる青年だったのだ。





そして青年は現世という悪夢に苛まれる事になる。
秀秋には重すぎたのだ。この運命と言う歯車の重圧は。

裏切り者、豊家の恩を忘れた陋劣漢、正しく人面獣心の輩


言葉は容赦なく秀秋をいたぶりつける。
だがその言葉に何も言い返せない。
事実、彼らを止められなかったのも、止めを刺したのも己だと嫌と言うほど解っていたからだ。
――――好いていた。
治部も、刑部も、摂津守も、八郎も、秀秋は好いていた。
豊臣に彼は愛があった、豊臣も彼に愛を与えていた。

何が悪かったのか?
徳川か?石田か?乱世か?時代か?運命か?己が血か?己自身か?

ああ、獣が己を食らう音が聞こえる。




「のぉ、刑部。早う、早う俺を連れて行っておくれ……?」
何もいない空間に秀秋は謡うように語り掛ける。
……彼には見えているのだ。
彼の心に残っているままの、白い頭巾で顔を覆いながらも怜悧さが滲み出ている大谷刑部の姿が。
何も言わずにただただ見つめてくるそれに、秀秋は笑った。
灯に照らされて光る口角から伝う酒が、涙の跡のように白い肌の上で濡れていた。

あとがき
まさかこの人の創作を書くことになろうとは……!
えーと正直に言います。俺、この人好きじゃありません。
だって大谷さん自刃にまで追い込んでるしさ、みったん(三成)負けた最大原因だしさ……。
でもこの人がいなかったら私的最大の大谷さん萌えセリフがなくなってるので、そこのトコは認めてますけど……(何)



ちなみにこの話において、大谷さんがマジでいるのかとかは微妙な所。
やっぱり死んだ人ってある意味で生きている人に及ばない高みにいるけど、ある意味で絶対勝てないと思うし。
どーでもいい話ですが、「歴史の獣」とかクロセカぢゃん!!みたいな(笑)
黒き獣、好きですよー?ああ、SH狂いがこんな所にも………ん、となると大谷さんは白鴉なのか?
あー、似合うかも白鴉(待て待て待て)

……SHわかんない人マジすみませ(土下座)

07/1/11/up


Back


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送