―――水墨画のような景色が、眼前に広がっていた

緩やかで、穏やかな、静かな空間は色彩がなく、ただただくすんだような、黒と白で構成されていた。



己の掌を見ても、数々の戦で斬馬刀を握っていた荒々しいその手も血の通った色ではなく、空ろな灰色に左近の眼には映った。

―――おや?)

そう思って、初めて左近は違和感を感じた。
戦、そうだ。戦があった。
左近を同志と言った、何よりも潔癖で不器用な、左近が終と決めた、愛しい殿と、
秀吉が没した今、この日の本を束ね、統率できる唯一の男との、日の本を二つに分けた過去、未来において類を見ない壮大な戦だ。
この手には斬馬刀があった。それで数え切れない兵士を斬った。
徳川や井伊、他にも黒田や福島はもちろん、裏切った小早川の兵も斬った。
体が妙に軽い事に気付き、手から視線を己の体に寄せる。
戦の為に陣羽織や鎧、具足をつけていた己が体。だが今は、ただ一枚の白い襦袢しか身につけていなかった。
耳をくすぐる音はさやさやとした水音。首をめぐらせば、そこには川があった。
虚ろな色で流れゆくそれは冷たいのか温いのか、流れも早いのか遅いのか。見ているだけでは、全く見当が付かない。
さやさやさや、という他の音が鳴ればかき消されるくらい、脆弱な音だけが左近の鼓膜を振るわせる。
それが耳に心地良かった。…怒声、悲鳴、銃声、蹄音、剣鳴、そんな馴染み深かった音と違って。 

―――こりゃあ…)

「彼岸、って奴かねぇ…」

言葉に出せば、思ったより呆気なく、胸中に渦巻く様々な感情を押しのいて、心地が着いた。
後悔もないわけではないのだが、ここまでくるともうどうしようもなかろう。と逆に度胸が据わっていた。
元々、細やかにあれこれと画策するのは戦と己が殿の為くらいしか気が動かぬ左近である。
さぁて、どうするかね…などとごちつつ頭を一掻きして、とりあえず足が向いた方向に歩み出す。
薄らと纏わり付く霞は冷たくも温くもなく、ただ動き出した左近を包んだ。





暫く……と言ってみても、日の動きも読めぬ、疲れも感じぬ、というから存外、時は経っているのかも知れない、
ただただ歩いていると、ぼんやりと人とすれ違う事があった。
別方向へ進む者もいれば、気が付けば隣に、並んで歩いていた者もいた。見た事ある顔も、また見た事のない顔も見受けられた。
しかし暫くすると、皆、霧がかったように左近の傍から消えていく。
何故か見知った顔と出会っても、左近は喋ろうとは思わなかった。
相手が喋りかけてきたらそれに返答しただろうが、自ら進んで喋ろうという気は皆無であった。
だが人とすれ違う度、人に気付く度、くすんだ黒と白しか映さない左近の目は、
最後の、そして最愛の主が持つ、鮮やかな紅色の髪や、意志の強い鳶色の瞳を探していた。



カラカラカラ…



ふと、耳に入ったその音は、軽くて細やかで、どこか悲しげな音。
自身が地を踏む砂利と、川のせせらぎ。
この地に来てから聞いていたのはその2つだけであった左近は、おや、と思いながら立ち止まり、周囲を見渡す。


カラカラカラ…


見れば前方の、―――何故こんなに間近になるまで気付かなかったのか
不思議なくらいの距離に、一人の男が河原側の石に腰掛けていた。
左近と同じように身には白装束を纏っているが、左近に比べてまだ若いように思える。
左近に気付いておらぬのだろう、ぼうっと空を見つめている顔は横顔しか見えぬが、中々の美丈夫だ。
その男の手には一本の風車があり、真っ赤な風車が風に揺られ、カラカラと回っていた。
この土地に来て初めて映った赤は、何処か主を彷彿させ、左近の目に沁みた。
沁みた目を一時閉じ、眉間を解してから、左近はその男に近づいた。

「申し、そこな方」

男は声を掛けられて、初めて左近に気付いたようで、一瞬の間の後、首をゆるりと左近の方へ向けた。
横顔だけでも美丈夫とわかったが、表面きって見ると、なるほどやはりいい男だと左近は感じた。
最も、左近のような剛勇さが下地の色男というよりは、精悍な顔つきの…若々しい青年特有の美しさを持った男である。
男は左近を見て、驚いたように瞳を大きくした。

「島殿ではないか…?」

その言葉を聴いて、左近は訝しげに眉を寄せる。軍師という仕事柄、記憶力と直観力はいい方であると自負する左近だ。
だが目の前の男…どこか引っかかるが、やはり顔も声も見知らぬ。
男は敏感に左近の不信を感じてか、笑いながら自身が座っている石の影から布の塊を取り出した。
それを器用に頭に巻き付けて───ちょうど目だけ覗かせて、他は頭から首まですっぽり被った状態で再度、問う。

「これでおわかりにならぬか?」
「アンタ、まさか───大谷殿!?」

左近の不躾なまでの反応に、覆面を取りながら男───左近の主・石田三成の唯一無二の親友と名高い、大谷吉継はくすりと笑った。




「気が付けば、この姿であったのだ」

まだ、癩を患う前の姿に
言いながら、吉継は風車の柄をくるりと器用に回す。
それを横目で見つつ、左近は、はあ、と何とも言えない相槌をうつ。
『島殿、急ぎでないのなら、暫しここで休んでゆかぬか?』
主の親友にそう微笑まれながら、彼が座っている横の石、
───左近が腰掛けてもびくともしないような巨岩を叩かれ、断る術を左近は持っていなかった。
もっとも、急ぎではない処か、宛てすらない放浪めいた一人気儘な黄泉路なので、断る理由もないのだが。

「………島殿は知人にお会いになられたか?」
「え?……ああ、それなりには。大谷殿の方は如何か?」
「我の方もそれなりには。……………敗軍なのだから、当然と言えばそうなのだろうな」

指でからり、と風車を回す。
その音が何とも哀しげで、───愛しげで、左近は視線を外して、頭上を仰ぐ。
明るい灰色の空を、既に不気味とは思わなくなっていた。


カラリカラリ

音に誘われ、視線だけ動かせば、視界の端で風車が回る。
赤い、紅い、彼岸に咲くと言われる花のように赤い、それが。


「…………大谷殿、一つ尋ねてもいいですかね?」
「何かな、島殿」
「こっち来てから、奪衣婆とか見ました?」
「………」
「あ、懸衣翁でもいいんすが」
「………生憎、我は見ておらぬな」
「なら、いいんすけど」
「……まあ、あやつは此岸でそんなのより
 厄介なのに食ってかかっていたのだから、心配せずとも大丈夫だと思うぞ?」
「まあ、それでも一応。あの人、突発的な事に滅法弱いでしょ?
 固まってる間にあれよあれよと褌一丁とかありそうですし」
「ああ、確かに」

サヤサヤサヤサヤ
カラリカラリ

そんな音に混じる男達の話声。
河原を歩く亡者殿はそんな二人に興味がないのか、気付かないのか、ただただ二人の目前を過ぎ逝く。

「………島殿は」
「はい?」
「後悔しておいでか?」




カラリ、と風車は止まった。
真っ赤な真っ赤な風車。
血のように、命のように、彼の人のような鮮やかな赤を彼岸で放つ、風車。
左近は脳裏に彼の人を思い浮かべながら、穏やかに告げた。


「……………貴方と同じですよ、大谷殿」
「………左様か」
「えぇ」



カラリカラリ
気付けばまた、音を立てて風車は回っていた。


「………それにしても意外と遅いな、佐吉は」
「まあ、あんまり早く来られても、悲しいものがありますけどね…………
 と、いうか彼岸と此岸って同じ時間の流れなんですか?」
「知らん。多分、似たり寄ったりだとは思うのだが……」
「………いつかは必ず来ますし、ここは気長に待ちません?」
「探しにゆかぬのか?」
「あー………俺自身が探すより、大谷殿と一緒にいた方が早く会える気がするんで」
「左様か」
「はい」




カラリカラリ

二人の亡者は待つ
愛しき友を
愛しき殿を



さらさらさらり
カラカラリ


流るるは白き清流
回るは紅の風車



愛しき想いは風車
カラリカラリと鳴きながら
今日も愛しあの人、想って
回ってる、回ってる……




後書き
初左近が三成と絡まないという辺りが茶瓶喫茶品質。……好きなのになぁ、左近。いや、でも難しいです。オトナな人って難しい。

大谷さんと左近、組み合わせ的には結構悪くはないと思ってます。
二人とも思想とか立ち位置とか全然違うくせに、三成愛という共通点あるし(笑)

てーかこの文章、前半と後半の文体が180度違うという読みにくさ倍増創作ですみませ……!
とりあえず大谷さんと左近は三成を待っててくれたらいいな!ってのと大谷さんが風車持ってたら萌えんじゃね!?だけで創作された作品(待て)


ちなみにお気づきの方もいると思うのですがイメージソングは一青窈の「かざぐるま」
曲の空気だけだと霜月はるか+riyaの「旅路の果て」とかもあるのですが……
まぁ、知らなくてもヘーキですね。ただ私が音楽、好きなだけですから!(キパッ←ダメすぎる)

07/04/14/up




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