夜の瀬戸内海の面を、音もなく船々が滑る。
紺碧に沈む海を渡る船団は素早く、敵が攻め入る隙がない。
しかし万が一、どこかの海賊船が襲来しても、その船団は負けはしないだろう。
何故ならその船団は、海に生きるものなら敵に回すのは愚かだといわれる熊野の水軍の船だと夜目にもわかるからだ。
源平合戦において、中立を保っていたはずの熊野の船団が掲げている旗は純白。
その白い旗は中天に浮かぶ満月の明かりを受けて、闇の中、清曜に輝いていた。
 
 
その先導の船首に、一人の麗しい青年が佇んでいた。
海から吹く冷たい秋風が青年の紅の髪を乱し、月に照らされて冴え冴えと光る肌から熱を奪う。
しかし青年は寒さを感じないのか、眉一つ動かさないで、ただただ暗く沈む海を見ていた。
―――いや、違う。
青年は船が進む先を見つめているのだ。船が進む、まだ見えない先を。
 
コツッ…
背後から人が近づいてくるのが、向かってくる足音でわかった。
「頭領」
続いて呼ばれた己の役職名に反応して、青年は振り返る。
月光に照らされた冷たい輝きを放つその表情からは、何を思って海原を見ていたのか窺い知れない。
振り返った先には彼と同い年くらいの青年がいた。
その青年は、船首で佇んでいた青年と同じ位美麗であった。
紺藍色の真直ぐな髪が切り揃えられた肩の辺りで、秋風に揺れている。
青年が持つ紅緋色の猫毛とは真逆の紺藍は、月光に照らされて艶やかに光った。
「セッカ」
頭領と呼ばれた青年が、藍色の髪を持つ青年の字を呼んだ。
セッカは能面のように表情を微動だにせず、濡烏色の瞳で彼を見つめている。
「何かあったか?」
「いえ、指示の通り「疲れたら無理せず、交代制で休め」と皆には言っておきましたので、ご報告を」
「ああ。思ったより陸越えで手間取っちまったが、本番は福原での戦だからな。ここで倒れたら苦労も水の泡だ」
その言葉を聞いて、セッカは「左様で」と頷いてから瞳を閉じて俯き、それから顔を上げて、紅の青年を見つめる。
上げた顔には先ほどまでの鉄仮面のような無機的な冷たさはなく、人が変わったかのように感情が読みやすい。
「しっかし、お前は相変わらず破天荒だな。ヒノエ」
呆れたような、怒っているような微妙な声色と表情で、セッカはヒノエを見つめる。
その変わり様を見て、ヒノエはクッと笑った。
「セッカ、そういうお前も相変わらず切り替わりが激しいな」
「茶化すな、ヒノエ。大体お前は全てにおいて、己で完結しているのが悪いんだぞ。
 初春に「龍神の神子を見に行く」って言って京へ出て、そのまま源氏の御曹司と共に行動して、
 夏に熊野に戻ってきたと思っても禄に挨拶もせず、そのまままた御曹司達と行動するわ…。
 やっと帰ってきたと思ったらお前、第一声が「源氏に加勢する」だぞ?」
セッカはヒノエに畳み掛けるようにそういうと、先ほどとは違い盛大な溜息をついて一言。
「これで怒らずにはいられると思うか?」
「……のワリにはやったら準備よかったよなぁ」
何で?と悪戯に笑う紅の瞳で射竦められて、セッカは言葉を詰まらせた。
「………遅かれ早かれ、熊野も合戦に巻き込まれるのはわかっていたからな」
「へぇ…。でも頭の固い長老ドモがあんなあっさり折れるなんてなぁー」
「…ヒノエ、悪趣味だぞ」
そうぶっきらぼうに視線を逸らす幼馴染の姿を見て、ヒノエは笑った。
「ありがとうな、セッカ」
このぶっきらぼうで説教癖のあるセッカが、己のいない間に熊野を守り、ヒノエの行動からヒノエの本心を汲み取り、
戦に出る準備も周囲の年長者達への説得もしてくれたお陰で、こうやって手早く熊野は源氏に加勢することが出来たのだ。
この己の右腕とも言える幼馴染の助けがなければ、このように上手く事を運ぶことはできなかっただろう。
 
一際、強い風が二人の間を吹きぬけた。一瞬の静けさの内、ぐんっ、と船の速度が上がった。風が二人の髪を乱す。
「風が強いな……これなら、未の刻までには着きそうだ」
乱れた髪を整えつつ、セッカがそうぽつりと呟いた。ヒノエが次第に明るみかけた空を見上げて、詠う。
「……『ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか 我がなき床に 靡けて寝らむ』ってね」
もう少しで会えると綻んだ頭の顔を、セッカは軽く小突く。
「お前が神子にぞっこん惚れこんでいるのは知っているが、せめて『神子』くらいに変えないか」
「セッカは望美を見るのは初めてか?」
セッカの忠告を流して、ヒノエは聞く。セッカは少しムッとなったようだが、慣れているのか深く追求せずにあっさり問に答えた。
「ああ、俺は熊野にいたからな。誰かさんの尻拭いのために」
いけしゃあしゃあと棘を含んだ言葉を口から出されても、ヒノエは反応せず笑った。
 
「そうか、じゃあよーく拝めよ?
 
 熊野別当の嫁になる女だ」
 
その言葉にセッカは瞳を開かせた。漆黒の濡れたような瞳に写るは、不敵に笑う紅の君。
「……そりゃまた、偉く大きく出たな」
先代の弟君や、源氏の御曹司、それから平家の公達達と張り合う気かよお前。
そう呟くセッカに、ヒノエは相変わらずの不遜な笑み。それは万の言ノ葉より、全を語る。
「………それだけの価値が神子にあるのか?」
「ああ。最高の女だよ。頭はキレるし、度胸は十分、腕も立つ。それに可愛いし、何よりこのオレが惚れて、愛してるんだからな」
 
海を背に、艶やかに、鮮やかに、笑う。
その想いは強靭で、彼の中で強く輝いているのが一目でわかる。
燃える様な紅緋の髪が海風に揺られて、夜明け前のほのかな闇に炎のように浮かぶ。
体から立ち上る以前の、――――神子に出会う前の飄々とした掴み所のない、何処か危うい彼と明らかに違う色彩。
それは確かな輝きとなって、ヒノエを内から照らし出す。
 
「………………惚気かよ」
「いいや、真実だけど?まぁ、まずは早く戦場について、源氏軍を俺達の手で勝たせないとな。
 烏の報告じゃ悪い虫はついていないみたいだけど、早く会いたいし」
「………だから惚気るなっての」
 
 
遠い、東の水平線が微かに輝きを帯びている。
夜明けは、もうすぐ。









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