夏の熊野の夜は、ゆるやかに過ぎてゆく。

そんな心地良い時間の中、敦盛は宿泊先の宿の庭の中ほどで笛を吹いていた。

宿といっても、ヒノエと弁慶が一行の中にいたため、

この宿も別当家御用達の別荘みたいなものなので、客は自分たち以外誰もいない。

それに庭と言っても森とも言えるほど広い面積を持つ庭なため、

敦盛のようにそれなりに奥まで入れば、寝ているものの迷惑にはならないのだ。

怨霊の身の上となった敦盛は、夏の激しい日光より月光のほうが心地良いので、

この所はこうして夜になると外に出、笛を奏でて己の楽しみとしていた。

気付いているモノは数人いるが、黙認してくれている…というか八葉の面子は揃いも揃って個人主義者というか、

『自分に不都合でなければ、他人が何をしていようが気にしない』という気質のため、とくに何も敦盛に対して言ってこないのだ。

敦盛はその事にありがたく、こうして甘えさせてもらうことになっている。

だが、この夜は違った。

一曲吹き終わり、笛を唇から話すと同時に聞こえてきたのは、パチパチという小さな拍手。

敦盛は予期せぬ来訪者に驚きながらも警戒し、笛を懐にしまいつつ、護身用になるかと思い身に付けていた小太刀を取り出す。

この様な時刻にこのような場所にいるなんて、どう考えても全うな者ではない。

ヒノエの膝元で、とは考え難いが、用心するに超したことはあるまい。

敦盛も若年とはいえ、武家の出だ。

一通りの武術は身についている。余程のでない限り、遅れをとらないだろう。

敦盛は振り向き様に拍手の主を見据えた。

だが、敦盛が動く事はなかった。振り向いた先には―――

「………神子…?」

「こんばんわ、敦盛さん。いい夜ですね」

敦盛が仕える主である白龍の神子―――春日望美が笑っていた。

 

 

「笛の音が聞こえて、ちょっと来ちゃいました。驚かせてすみません」

たまたま近くに倒れていた大木の幹に座って、望美はそう言った。

敦盛は望美の隣に腰掛けて、望美の話を聞いていた。

「敦盛さん、ここの所、毎晩笛を吹いてますよね」

「あ……迷惑だっただろうか」

「いいえ!お陰でぐっすり……ってえと、あの、褒めてるんですよ?

 敦盛さんの笛は上手だから、寝やすくって…って褒めてるんだけど、あれ?」

「神子、落ち着いてくれ。貴女の安眠の役に立っているなら、私も本望だ」

混乱しはじめた神子に敦盛はそう答えると、神子は微かに頬を赤らめながらも

「ごめんなさい、説明が下手で。でも私、敦盛さんの笛大好きですよ!」

とにっこり笑ったので、敦盛の頬は闇夜にもわかるほど真っ赤になった。

「そ、そうか……神子の気に触らないのなら、それでいい」

「敦盛さんの笛ってすっごい素敵ですもん。綺麗で、切なくて、強くて、………憧れる」

そう少し目を伏せて、泣くように敦盛ではない―――

『誰か』に向かって微笑んだ望美を見て、敦盛は言いようの無い焦燥感に襲われた。

望美は時たま、今でない何処か―――これからの行く末か、未来か、

……はたまた誰か、か、を見つめているのではないかと思うときがある。

それに気付いているのは幾人いるだろうか―――

敦盛を除けば、もしかしたらリズヴァーンしか気付いていないかもしれない。と思っている。

望美をいつも見ている譲すら、気付いていないだろう―――そんな表情。

それは泣きそうで、苦しそうで、悲しそうで――――想像もつかないほど強大な不安に押しつぶされそうでいて、

でも、望美の瞳の奥にあるのは真っ直ぐな、ただただ、燃え続けている強さの炎。

「……ねぇ、敦盛さん。一つ聞いていいですか?」

不意に、望美は顔を上げて月を見上げながら、敦盛に話しかけた。

敦盛も神子から視線を逸らし、望美に倣って月を見上げながら答える。

「私でよいのならば」

「……敦盛さんは、」

互いに見ている月は、望美の名と同じく望月の名を冠す月であった。

欠けるものが無い、と昔の栄華を極めた男が宣言した月だ。

―――それは、近い未来に崩れ行く月。

 

「私が悪いことしたら、どうします?」

 

 

月を見上げながら聞いたせいか、隣から聞こえているはずなのに、月から射す光のように真っ直ぐ聞こえた。

敦盛は正直、思いもしなかった言葉だったため、瞳を大きく見開かせた。

望美を見ようとしたが、すぐにやめた。今の神子を見てはいけない、と本能が叫んでいる気がしたからだ。

虚空に浮かぶ月。宵の墨色の夜空に圧倒的な輝きで光る満月。

それは隣の少女に似ている、と敦盛は驚いたまま、ぼんやり思った。

 

誰よりも美しく、誰よりも強大な力を有し、誰よりも気高く

 

誰にも理解されず、ただ己で己を支えるしかない、孤独な王者。

 

善も悪も、それすら超越する、夜の支配者

 

 

「…………すみませんいきなり変なこと聞いて。忘れてください」

その言葉で我に返り、敦盛は声がした方に視線を向ける。

気がつけば、隣で月を見上げていた望美はすでに立ち上がって、少し離れた所で敦盛を見ていた。

己の発言を恥じているのかほんの少し照れて、薄紅の頬を隠すように右手を添えている。

「先に宿に戻りますね。邪魔してすみませんでした」

そう言って、望美は敦盛に背を向けて、長い髪を靡かせながら歩き出した。

闇に浮かび上がる、細い小さな体。

その背中に背負われているのは戦の命運とか運命とか、少女の荷としては重すぎる代物。

敦盛はその背を真っ直ぐに見据えて、口を開いた。

「神子……もし、貴女がその…悪事を働いても」

望美の歩みが止まった。靡いていた髪も、一筋残らず動きを止める。

空気が、時が止まったような錯覚。敦盛はその感覚に眩暈がしそうになったが、望美から視線を逸らすことなく言った。

 

「貴女が貴女の意思で、それを行うのなら、私はそれを受け入れる」

 

許すとも、止めるとも、否定とも、軽蔑とも違う。

ただ認め、受け入れるという敦盛の言葉に、望美の身体が揺らいだような気がした。

だが、月は悠然と夜空に存在する。そのように、望美も闇の中、凛とした立ち姿で立っているだけだ。

その後姿を見つめながら、敦盛は続ける。

 

「だから、神子、貴女は貴女の思うが儘でいい…と思う」

 

神子、貴女は振り向かなくていい。

例え運命が、八葉が、龍神が貴女を捨てようとしても、私は貴女と共にいるから。

神子、貴女が望むがまま、思うが儘、己の望みを叶えればいい。

―――貴女には、全てを平伏せる力がある。

 

 

望美の背が小さくなって闇に溶け込んでも、敦盛はただその消えた先を見ていた。

小さな細い、少女の体を持つ神子姫。

神子が選ぶ選択に、どうか幸せがあるように。

 

神子に想いを寄せて、敦盛はそっと笛を奏でた。

 



2006年夏の一人祭り企画『歌姫方に花束を〜Diva from Adult Soft〜』フリー配布作品。現在は配布終了。
PCゲーム『魔王と踊れ!(catwalk)』主題歌・SilentFlame(歌/霜月はるか)の「世界があなたを悪というのならば」からイメージ。
Silent Flameは『魔王と踊れ!ヴォーカルアルバム』または『あしあとりずむ 〜Haruka Shimotsuki works best〜』に収録されています。






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