「ねぇ、テル。灯台の話知ってる?」

その日、珊瑚礁でのバイトのため、佐伯瑛と狭倉海聖は共に下校していた。
珊瑚礁までの長い海岸沿いの道路で、何時もの様にだらだらと日常会話のキャッチボールをしていたはずなのだが、唐突に海聖はそう切り出した。
佐伯は驚いたように目を開いて、それから間抜けな声でお世辞にも気の利いているとは言えない返答をした。

「……は?」
「や、だから人魚と若者―――ん?灯台守だっけ?ま、何でもいいや。その悲恋話」

別に地底に続いているだの千本ノックだの呪いの灯台だのって噂もあるけど。
と付け足して、海聖は長く続く海岸沿いの道路の縁石に乗った。
これは背の低い海聖の癖。ちょっとだけ近くなる海聖の顔、けれども縁石に乗っても佐伯を見上げて話すのは変わらない。
海聖は危なげなく、少し高くなってる細い石の上を歩く。

「あれさ、私思うんだけど、人魚ってネクラよね」
「……は?何だそれ??」

唐突に話された話題のこれまた唐突な意見に、ようやく佐伯の頭は動き出したのか胡乱気な視線で海聖を見る。
そんな優等生の仮面を外した佐伯の視線に、応えるように海聖の唇は弧に吊りあがった。

「いや、だってさ、確かー……
 『人魚の姿を人間にかえた娘は声を出すことはできません。
  でも、娘の穏やかな海のような瞳は 言葉よりもたくさんのことを語っているようでした
 ってなってるでしょ?」
「へぇ……よく覚えているな」

珍しく素直に感心したような声を出す佐伯に向って、海聖は薄い胸を張った。

「ん、うろ覚えだけどね。それっぽく言ったらそれっぽく聞こえるでしょ?」
「それはえばるところじゃねぇ」
「あはは、んで、海聖さんは思うわけですよ」

佐伯のツッコミチョップを前進ワンステップで華麗に交わし、くるりと佐伯の方へ振り向いた。
後を追うように揺れるツーテールに黒いリボン、そして短めのスカートの裾が残像のように佐伯の瞳に映る。

「どうして、人魚は何もしなかったのだろうってね」
「……どういう意味だ、それ?」

くすり、と笑うと、海聖は後ろ向きのまま―――佐伯の方向を向きながら器用に歩き出した。
そしてそのまま、唇も動く。

「いや、だってさ、人魚は声を奪われてたけど、やろうとすれば文字を覚える事だってジェスチャーだって出来たでしょ?
 文字は若者がわからない可能あるけど……ただ見つめるだけで、全部をわからせようなんてただの怠惰だと思わない?」
「それは……あれじゃないのか?『黙して語らず目で語れ』」
「それこそただの怠慢じゃない」

海聖は、ぞっとするほど冷酷に、また嫣然と微笑んだ。その微笑みはまるで魔法のように、佐伯の瞳と声を奪う。

「言葉だけで伝わるものも少ないけど、言葉を抜きで伝わるものはもっと少ないわ。
 伝えようとする気概がない時点で、人魚はダメなのよ。
 想いも愛も恋心も―――口付け以外の全部を全部、若者にだけ押し付けて、人魚は海へと戻るのなんて、ただの我侭だわ。
 ――――もしかしたら『待ってて。幾星霜巡っても、私は貴方の元に還るわ。信じて』とか思ってたかもしれないじゃない?
 でも人魚は若者に『何かを伝える』ことをしなかった。ただただ、若者に自分の気持ちを押し付けてるのよ?
 若者ばかり人魚に振り回されて………それってフェアじゃないわ」

気がつけば、2人の足が止まっていた。夕暮れ色に染まった道路に影絵が描かれている。
サァと風が吹いて、影絵が揺れる。潮風は何かを囁くように、2人を包み込む。
2人は見詰め合っていた。
甘さも恨みも激しい感情は何もないように透明な、けれども内情の感情は計り知れない不思議な瞳で互いに互いを映す。

「人魚は、伝えるべきだった。どんな事をしても、たとえ伝えられなくても、ただ海へ戻ってはいけなかった。
 若者が人魚の手を放したのも愚かだけど、人魚が若者に何も伝えようと努力しなかったのは罪だわ」



海へと戻った人魚 若者に口付けだけを残して
それで貴方は全てを伝えたと思ったの?

それだけで貴方の気持ちは伝えられる程度だったの?



「私なら言葉でも、キスでも、視線でも、抱きついたって、―――抱かれたって、全部を伝えられない。
 当たり前よね?だって私は私で、相手じゃないのだもの。
 一生、相手の全てが私に伝わる事がないように、私の全てが相手に伝わる事はなんてないんだから。
 けれど、少しでも伝えたいと、解りたいと、努力することはできる」

だから、身体を駆け巡るこの想いを、少しでも伝えられるように努力する事をしなかった人魚は大嫌い

一歩、佐伯に近づこうとしたその時、横凪の潮風が2人を襲った。
縁石に片足立ちの不安定な状態になっていた海聖は、ぐらりと大きく身体を傾かせた。

「……!?」
「海聖っ!」

驚いたように大きな瞳をさらに大きくさせて、ふわりと髪を裾を靡かせて硬いコンクリで覆われた道路側へと身体が傾く。
佐伯は咄嗟に所在無げに投げ出された手を取り、自分の元へと引き寄せた。
信じられないほど小作りな手に驚いている間もなく、引き寄せた勢いのまま佐伯に寄りかかってきた軽さと華奢な身体にまた驚かされる。
海聖の顔が自分の胸に当たっているのを感じて、心臓の音が聞こえやしないかと顔が熱くなっていくのが自分で解った。

「おい、大丈夫か?」

少々上ずった声で安否を問うが、聞いた相手から帰ってきたのはその答えではなかった。

「……『私が泡ならこわれはしない あなたが泡ならこわしはしないわ』」
「?…海聖?」

気がつけば佐伯は掴んだ手を握られていて、海聖が真っ直ぐ見上げていた。
佐伯を見据える海聖の瞳はただただ真剣で、狭倉海聖という人間の本質を表しているような眼差し。
その眼差しに見入っている佐伯の頬に、海聖は掴まれていない手が触れた。

「……私は、伝えたいと思うから。だから……」

そこまで言って、海聖は口を噤んだ。すると風が彼女の言葉であるかのように、2人の間を駆け抜ける。
風が通り過ぎた後は、もう海聖はいつも通りになっていて、笑いながら手を離し
『早く行かないと。この間マスター、上の棚のモノ取ろうとして、ムリしてたし』というと、そのまま縁石に乗らずに歩き出す。
数歩歩いてから、佐伯が立ち止まっているのに気付いたのか、海聖は振り向いて

「行こう、テル」

と夕日に似た優しさで笑う。道路に描かれた影絵がようやく動いた。







『私が泡ならこわれはしない あなたが泡ならこわしはしないわ』
*銀色夏生の詩「泡とそよ風」から抜粋



2006/8/8up

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