いつも、あなたはそう
 
一人で満足して、海の底の都へと逝ってしまうのね
 
 
 
怨霊となって黄泉還った清盛を倒し、長年続いてきた戦は源氏の勝利で幕を閉じた。
そんな中まだ興奮冷めやらぬ兵士たちの合間を抜け出し、望美は船べりに出た。
戦は終わった、ならば神子たる自分はもう用済みだとわかっている。
そう思えば、どっと疲れが押し寄せて来て、思わず座り込み、ふぅと溜息。潮風が髪と頬を撫でる。
戦の間、構わなかったせいで随分と伸びた前髪が目の中に入ろうとする。
それを鬱陶しげに掻き揚げようとした右腕の内側に走っていた赤い血の跡に気付き、望美の腕は止まった。
固まった血は赤黒く、望美の肌にこびり付いている。
それが誰の血か望美にはわかっていた。
 
――――その血は、望美と剣を合わせて、勝手に満足して、海の底の都へと旅立った、莫迦な男の血
 
望美は身を乗り出して、着物の袂が濡れるのも構わずに、左手を海へと浸す。
桜が散っているとはいえ春先の海は冷たくて、指先をほんの少し浸しただけでも身体は身震いをする。
 
――――こんな冷たい海へあの男は身を投げたのだ
 
そう感じて知らず知らずに眉が寄るが、
望美はそれを冷たさのせいだと自分で納得しようとして、さらに眉が寄った事に気付かない。
暫く海に手を浸してから引き上げて、濡れた人差し指で右腕の血の跡をなぞる。
数度撫でる様になぞれば、じわ…と血は元の液体へと戻っていく。赤茶けたそれが望美の白い肌につつ…と垂れた。
それが着物に染み込む前に、望美は腕を口元まで持っていってぺロリと舐めた。赤い舌が赤茶色の雫を掬う。
味は鉄と塩の味で、見た目通り美味しくも無かった。しかし、どこか不安定な高揚感が望美を満たす。
それはこのような何処か不健全で背徳的な行為に対してか、
それともあの男の体液と今日だけで数々の人を飲み込んだ海の一部を体内に取り込んだ恍惚か。
どちらにせよ、仮にも「神子」と呼ばれる処女の行いではないな。と思い、唇が皮肉気につりあがった。
全て舐めてから、すでに乾き始めた左手で血が付いていたあたりをなぞってみる。
冷たい海に浸して潮風に吹かれた指先は氷のように冷えていた。
なぞった先からぞくり、と背筋を走る悪寒は彼と対峙した時と似て。思わず目が険しくなる。
 
視線を海へと移す。
数刻前まで戦があったと思えないほど、穏やかに落ち着いている海原。
それはあの男を身に抱いて、満足している様に見えて。そんな思考をする自分に眉を顰める。
顔を顰めたまま、ぽつりと呟く。
 
「ずるい…男」
 
 
自分だけ満足して、さっさと逝ってしまうなんて
 
いつもそう
 
引き止めようとするこの手をすり抜けて、いつも―――
 
 
この苦しみがなんなのか、望美は知らない。
恋というには甘さが足りず、愛にしては苦味が強く。
だからこんな思いは恋でも愛でもない。
ただその名すらつけられず思いは、熱く、苦く、痛く望美の胸をかき乱す。
ずくり、と痛む胸元を、強く抑える。そして苦しげな表情のまま、海を睨んで低く呟く。
 
「泣いて……なんか、やんないから」
 
 
あんたみたいな身勝手な男なんかのために、泣いてたまるか
 
 
そう言いながらも彼を抱いている海を見つめる瞳は痛々しく、唇は噛み締めすぎて白くなっている。
それでも望美はじっと、壇ノ浦の海を見つめていた。
まるで憎むことしか知らないように、ただ何時までも、じっと―――――
 
 
 
きっと自分の世界に戻れば、この戦も、潮風も、海の冷たさも過去のものになるだろう。
 
けれども望美にはわかっていた。
 
自分の胸に巣食う恋とも愛とも呼べない代物だけは、永遠に鮮やかに己の胸に刻まれ続けるだろうという事が――――







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