全てが終わった

 

鎌倉方との戦も、頼朝の斬首も、鎌倉方への粛清も朝廷への威圧も、考えられる限りの彼との共同作業の全てが

 

それでも連綿と紡がれる日々

 

終わりははじまり

 

次にはじまるのは、勢力の安定

 

 

明日、源氏の最後の嫡流は、白龍の神子を娶る

 

 

 

 

「神子殿」

婚姻前の最後の宴として招かれた朝廷の豪奢な庭先で、

呆けた様に佇んでいた望美にかかった声は、望美の秘められた恋情の全てを捧げる相手のものだった。

望美はゆっくりと、彼と共同する時間を少しでも引き延ばそうとするように、ゆっくりと振り向いた。

振り向いた先には、常通り、不機嫌そうな愛しい男の漆黒の立ち姿。

祝いの席ですら漆黒を纏う彼は、月明かりと蛍が行き交う庭からみると、まるで宵闇を擬人化したかのように見える。

初夏のぬるい風が、泰衡の髪を乱した。

だが、乱れた髪は夏のぬめる宵に溶け込み、さらに不思議な一体感を望美に印象付けた。

「泰衡さん?どうしました?」

小首を傾げて問えば、目の前の男は隠そうともしない溜息をついた。

「……貴方は、自分が主賓だとわかっておられるのか?供もつけずに、どうしてこのような場所にいる?」

出会った頃から変わらない鋭い、厳しくとも言える眼光に射られ、望美は心地いい幸福感に満たされた。

病んだ神子。そう自らを蔑さみ、嘲笑う。

「だって、もう皆、お酒が回ってるから、抜け出しても平気だと思ったんです。

 それにここ、朝廷ですから敵はいないと思って」

「むしろこの場所が敵の吹き溜まりだとわかっておられますかな?神子殿??」

「ふふ…血の穢れを厭う朝廷が私を襲うわけないじゃないですか」

ころころと、鈴の音に似て玲瓏に笑う。口元に添えた白い指が、明かりに照らされて艶かしく光る。

 

「彼らが本当に私や九郎さんを殺す気なら、料理やお酒に毒を盛りますよ。

 最も、今、朝廷が私たちに手を出しても、破滅しか待っていないのですから、手を出さないでしょうけど」

 

現に、今、朝廷の回りは平泉の兵たちが囲んでいる。

少しでも不穏な動きをしたら、叩き潰せるほどの強大な戦力が、宵の刻だというのに待機しているのだ。

だから朝廷は、手をこまねいて彼らを歓迎しているような様しか見せない。

 

「…あれ?泰衡さん、お酒飲んでないんですか?」

彼から香る酒気が薄いため、疑問に思い問うと肯定の返事が返ってきた。

「俺は下戸だ。酒は舐めるほどしか飲まない。それに……貴女や九郎ほどに俺は楽観視できない」

生真面目に答える彼が愛しくて、望美は声を上げて笑った。

「あはははっ……今更、彼らがどうすると考えてどうするんですか?もう、成るように成れ。でしょ?」

「神子殿…」

眉間に刻まれている皺が更に濃くなる。望美はそんな彼の元に近寄り、手を取り曳く。

「さすが朝廷ですよ、お庭すっごい綺麗なんです。泰衡さんも近くで見ませんか?」

そう言って、彼を庭へと誘った。泰衡は反論するのも億劫なのか、望美のなすがまま、庭先へと降りた。

 

月明かりに照らされた庭は、雅の真髄を極めたかのような美しさを見るものに振りまく。

そんな中、放された蛍が2人の間を飛び交う。

「……見事だな」

ポツリともらされた泰衡の言葉に、望美も同意する。

「そうですね、人が作った不自然な美しさですけど」

「……神子殿はこういう庭が好きではないのか?」

望美が返した皮肉が意外だったのか、泰衡はいぶかしむように問いかける。

望美は常通りの笑みを浮かべて、彼を見上げた。

「いえ、好きですよ?ただ、平泉も今は綺麗だろうなぁと思って」

「平泉にこのように洗練された庭はないが?」

「洗練されなくても存在するだけで美しいものもあるでしょう?」

「ほぉ……神子殿は、これが紛い物の美しさだとおっしゃる?」

皮肉気に見下されて、望美は肯定した。

「ええ、まぁ、そういう事かな。でも美しいじゃないですか、これも」

計算されて植えられた樹木、態々引いてきた潮が満ちる水海に浜、山から連れてこられた蛍

たとえ人の手が入っても、それはそれで美しいと望美は思うのだ。

 

例えるなら平泉の美は九郎、この庭園の美は泰衡だと思う。

九郎は自然体で美しいが、泰衡はそれを作り上げる美。

望美は後者、作り上げられた美を有する女だ。

九郎と相容れるはずがないが、泰衡とも同じであるがゆえに相容れない。

互いに孤独。

 

 

「……あ」

気が付けば泰衡の肩先に蛍が一匹、羽を休めていた。

冷たい光を放ちながら、瞬くようにゆっくりと輝く蛍。

「蛍……」

望美がそう呟いても、悠然と蛍は光の点滅を繰り返すのみ。

頑固にしがみつくそれを見て、泰衡は自嘲するように顔を歪め、吐き捨てるように言った。

「………俺も相当恨まれているようだ」

「え?」

「古くから蛍は死者の魂が現世に迷い出た姿だと言われているからな……

 もしかしたらあやつの恨みの魂かも知れぬな」

自ら葬り去った銀色の従僕を暗に示しながら、そうっと泰衡は肩先の蛍に指を寄せた。

泰衡の白い指を焼く、熱無き淡い焔。

それはまるで怨み言を呟くと言うよりは、彼の指を愛撫するかのように柔々と照らす。

「………違いますよ」

「…神子殿?」

望美の反論を予想だにしていなかったのだろう。察しのいい彼にしては、半拍ほど反応が遅れた。

「その蛍は怨んでるんじゃない…ただ…泰衡さんへの想いに焦がれているだけですよ」

そう呟くと、泰衡の眉がひそんだ。だが望美は言葉を紡ぐのをやめない。

「だって怨んでいれば焔で焦がせますもの。愛しいから………愛しているから、焔が冷たいんですよ」

その焔の全ては己のみを焼き尽す。

恋情という豪火の焔は。

そう、きっとその蛍は―――望美の化身

泰衡に焦がれる、望美の恋情だ。

 

「………なんて、ね。すみません、変な事言って」

「いや…気になさるな。神子殿も色々思う所があるのは承知だ」

泰衡はそう何時ものように素気なく答えると、望美を見下ろした。

「……神子殿、何か俺に言いたいことはないのか?」

唐突に聞かれた言葉に、望美は言葉をなくした。

「…………ぇ?」

 

泰衡さんに、言いたいこと…………?

 

その言葉でこの胸に巣食う、病んだ恋情が疼きはじめる。

 

「ど、どうしたんですか?急に」

望美は泰衡から顔を背けて、早口になりながらも答えた。

髪をかき上げた時に触れた頬は熱い。今は幻想的な蛍たちが近寄らないことを祈るのみだ。

泰衡は淡々と、相も変わらない冷静さで告げる。

「貴女は俺を恨む道理があるし、権利もある。最後ぐらいは聞いておこうと思ったからだ。

 ………銀を殺し、九郎と契らせる。正直に申せば、俺自身は貴女に悪いとは思っていない。

 だが、貴女に恨むなというほど、狭量ではいたくないからな。

 さぁ、神子殿―――いや、春日望美…だったな。言いたいことを言ってみろ、聴くだけはする」

引き戻せない所まで追い詰めたのだから、最期くらいは…という、気まぐれかも知れないが、

泰衡は初めて「望美」を知ろうとした。

それだけで、望美の瞳からは熱い涙が流れ出した。

震える体を押さえつけ、漏れ出る嗚咽を必死に飲み込む。

宵闇がぼやけるのは生暖かさのせいか、それとも望美の精神が平穏ではないからか。

わからないが、望美は薄皮一枚の冷静さを取り繕って、背を向けたままで泰衡に聞いた。

 

「………私は…貴方の、役に立てましたか……?」

 

自分の喉から出た声は思いのほか落ち着いていて、望美は安堵の息をついた。

望美のその言葉に、見えないけれど、泰衡が今まで見たことのないほど驚いたのがわかった。

どんな表情をしているのだろうか?そう思い、涙をさりげなく拭いながら小さく笑む。

「私は、私の意志で貴方に加担しました。だから、いいんです。

 貴方の……泰衡さんの、言葉さえ貰えれば。……答えて、くれますか?」

涙を拭いて、振り向けば、泰衡と対峙する。もう普段通りの顔になっていて、望美は「残念」と感じた。

そんな望美を知るはずない泰衡が、口を開いた。

「………ああ、貴女のお陰で平泉は九郎を擁して、頼朝を滅せられ、こうして朝廷すら押さえつけられた。

 それは神子殿、貴女の助力があってこそだ………平泉、そして藤原一門を代表して、貴女に感謝を」

 

そうして、泰衡は儀礼そのままの拝をその場で取る。

闇の化身が頭を垂れた姿を見て、望美は幸せそうに瞼を閉ざした。

 

 

ああ、幸せだ

 

他者には理解し難いかも知れないが、今、私は最高に幸せだ

 

いや、理解などされずともよい これは私だけの幸せ 誰にも奪えない、彼にも奪わせない 私の幸せ

 

この幸せの残骸を抱えて、これから先生きていける

 

彼の望むままに、生きていける―――――

 

 

 

瞳を開けたときには、すでに泰衡の姿はなかった。

望美はそれを心のどこかで感じていたのか、それほど衝撃を受けることはなかった。

庭を見渡せば、蛍火がゆらゆらと闇一面に散らばっている。

それが水面にも移り、さらに多くの蛍火が闇の中光っている。

 

ゆらゆら 清らに揺らめく 命の炎 恋の炎

儚く、燃える事のない、たゆたう想い達

 

それらは天へ昇ることなく、ただ地上を彷徨う

 

それは不幸か、幸福か

 

 

 

 

宵の風が、蛍火の映る水際を揺らした。


後書き
2006年夏の一人祭り企画『歌姫方に花束を〜Diva from Adult Soft〜』フリー配布作品だったものです。現在は配布終了しました。
PCゲーム『刃鳴散らす(Nitro+)』のEDテーマ・蛍火(歌/いとうかなこ)の「不毛すぎる望み それでも すがる」からイメージ。

蛍火は『BRADE ARTS 刃鳴散らすOriginal Soundtrack』に収録されています。





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