始まりは、


小さな姫君甘い歌

ふりそそぐことば様/No.451-500より






その朝、聖獣の光の守護聖であるレオナードは不機嫌であった。
最も、朝から彼が上機嫌であることは滅多にない。
レオナードは聖地に来る前は夜の仕事をしていたので現在はまだ昼夜逆転の感覚であるし、そうでなくても彼自身が完璧に夜型人間だからだ。
夜型人間にとって朝という物は忌々しいもの。清清しい朝日にも嫌悪を催す罰当たり、それが夜型人間だ。
またレオナードは酒飲みでもある。しかもかなり飲める。
別に毎晩毎晩浴びるほど飲む、というわけではないのだが(まぁ、毎夜、軽く2,3杯引っ掛ける程度)
昨晩、比較的仲がいい神鳥の守護聖であるオスカーとオリヴィエが、
上等な酒を持ってレオナードの元へやって来たため、明け方まで飲み会をしていたのだ。
三人とも強かった事が災いしてか、常より飲みすぎてしまった。
夜型という体質に、寝不足と二日酔い。それが重なって、見事気分は最低調。という訳だ。
いっそ公務をサボってしまおうか、と思ったのだが、自身の補佐官に押されてこうして執務室に押し込められている。
もっとも、右肩に高く積まれた書類には目もくれず、あー頭イテェとぼやきながら机に伏しているだけなのだが。
そうしてしばらく心地良い朝の静けさの中ウトウトとしていた所に、いきなりの大音量。

「レオナード様っ、失礼します!!!」
バタンっっっ!!!

思春期の少女特有の高い声と、勢いよく開かれた執務室の扉が奏でる二重奏は
それはもう、静寂に癒されていた二日酔いの脳にいきなり大ダメージを与えてくれた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?!?」
「ってあれ?レオナード様??」

痛みに悶絶している耳に入ってきたのは、きょとんとした少女の声。
きっと少女の立ち位置からだと、レオナードは書類か何かに阻まれて見えないのであろう。
レオナードはそのまま、少女が出て行ってくれることを願っていたのだが、聞こえてきた声は―――

「奥の私室にいらっしゃるのかしら?……大きな声で呼んでみれば…」

という不穏な内容と、一拍遅れてから息を吸い込む音。
少女は自分の小さな体から出せる限りの声で、レオナードを呼ぼうとした。が―――

「…エンジュ、俺に何か用か?」

そう書類の影から聞こえた声に、少女の動きはピタリと止まり、そのまま深く息を吐き出すと、書類が積み上げられている机の方へと回り込む。

「あ、レオナード様、いらっしゃったのですね。おはようございます」

机に突っ伏したままのレオナードを見つけると、少女―――エンジュは深々とお辞儀をした。
その数拍後にようやく脳の痛みが和らいだレオナードが、のそり、と肉食動物が起き上がるような迫力ある緩慢さで顔を上げる。
和らいだとは言え痛くないわけではないので、常から決して穏やかではない眼光が
いつに増しても険しく、眉間に刻まれた皺がその険しさを倍増させていた。
しかしエンジュは特に怯えもせず、「あ、気分でも悪いんですか?」とレオナードの顔を覗き込む。
エンジュの畏縮を知らない朗らかさは、星々を渡るエトワールとして最高の資質の1つであり、レオナードも気に入っている美点だ。

「あー……二日酔いなんだよ、だからあんま、デケェ声出すな」
「珍しいですね、レオナード様が二日酔いなんて。お酒、強いのに」
「っせぇな、んで、用件は何だ?拝受か?さっさと済ますぞ」
「あ、いえ。用件は拝受じゃないんです」

二日酔いに痛む頭を抑えながらその言葉を聴いたレオナードは、殊更眉間の皺を深めた。
まだエンジュの仕事であるなら許してやったものを、
それ以外―――拝受以外の用事だと大方、雑談なのだ―――の事でこのダメージは割に合わない。
そんなレオナードの心中を知ってか知らずか、エンジュはにっこりと、星のように煌々しい笑顔で

「レオナード様っ、お誕生日おめでとうございます!」

と言った。


あまりに予想外な言葉が出たので、二日酔いの痛みも忘れてレオナードは

「ハァ!?」

と大きく素っ頓狂な声を出して、自分で自分の首を絞めた。
自分で出した大声の反響に悶えるレオナードに、エンジュはその輝かんばかりの笑顔のまま話す。

「今日は4月の25日じゃないですか。もしかしてレオナード様、忘れてました?」
「…………俺様がいちいちカレンダーなんかチェックしてると思ってんのか、お前」

ズキズキと痛む頭を抑えつつ、そういえば昨晩来た二人がその手の事を言っていた様な気がするな、という事に気づいた。
と言っても、レオナードは上質の酒のほうに目を奪われていたため、二人の祝い、或いはからかいの言葉は全く耳に残っていないのだが。
そんな事があったと知らないエンジュは、キラキラした瞳をさらに輝かせて

「じゃあ、私が一番乗りでお祝いできたのですね!」

と嬉しそうに笑った。
その笑顔は歳相応より子供らしく、ふわふわなコットンキャンディーのような甘さを含んだ幼い笑顔だったが、
婀娜っぽい女の微笑に慣れていたレオナードの心にはひどく新鮮に映った。

へぇ、いい表情できんじゃねぇか。

そう思って、レオナードも釣られてフッと笑う。さすがに頬を染めるほど、レオナードは青くない。

「で、何かくれんのか?」

先ほどの不機嫌顔など何処へやら。悪戯坊主のような笑みでエンジュに隠れてもいない催促をすると、
エンジュは頬を微かに染めたまま、エヘ♪と笑って小首を傾げた。

「えーと……ある事にはあるんですがー……お酒、なんですよね」

といいつつ、机の上に置いたのは赤ワインの小瓶。可愛らしくラッピングしてある辺りが、通常時のプレゼントと違うという主張らしい。

「今飲めませんし、二日酔いの時に渡すのもなんですけど……」
「あー、いいって。後で美味しく飲ませてもらうから」

あんがとよ、と笑うレオナードに、再度エンジュは言う。

「本当にお誕生日おめでとうございます、レオナード様」
「……そいや、エンジュ。お前の誕生日ってのはいつだ?」

レオナードはふと、気になったことをそのまま口に出した。笑って

「誕生日に俺様が腕によりをかけてイイモン作ってやるよ」

というと、エンジュはちょっと困ったような、寂しそうな…複雑な苦笑いでこう言った。

「私の誕生日は、お祝いしなくていいんですよ」
「アァ?」
「誕生日には私、お役目御免なんで」

そう言いつつ、健気に笑おうとする少女を見て、レオナードは思い出した。
エンジュは彼女の17の誕生日から聖地へ来て、18の誕生日まで―――ちょうど1年の任務期間が終わると自星に戻るということを。
自分をこの地に連れてきた少女は、帰るべき場所があるのだ。
……レオナードは今の今まで、当たり前のように、エンジュは自分達と一緒にずっと聖地にいるものだと思っていた。
柄になく、レオナードは慌てて謝罪の言葉を口にした。

「そういや、そうだったな。悪い」
「いいえ、気になさらないでください。今日はレオナード様のお誕生日ですから」

私は二の次です、と言い切ると、「あ」と気づいたように声を上げて

「もうこんな時間、長く居座ってすみません」

と言った。そしてエンジュらしい、飛び切りの笑顔で

「じゃあ、最後にバースデーソングを歌いますね!」
「は?」

レオナードの明らかな疑問を含んだその言葉を軽く無視して、エンジュは瞳を閉じるとすぅ、と小さく息を吸って、歌い始めた。


Angioletti del ciel venite,in coro,a sorridere dolce …


その歌はレオナードには聞き覚えのない旋律と言語であったが、
エンジュの可愛らしい歌声で紡がれるそれは、どこまでも優しく暖かくレオナードの心を包んだ。
小さく華奢な体から響く歌声。時たま高音が掠れたり、響きが不安定に揺れたりする、拙い子供の歌。
ただ、嬉しそうに微笑みながらエンジュは歌う。レオナードのためだけに、その生まれを祝う歌を。
その姿はまさしく全てを包み込む女王陛下にも似て。
この幼気な姿に全く似付かわしくないが、彼女が醸し出すのは母の愛に似た慈愛であった。

エンジュの歌はただの歌だ。
しかしレオナードにとってエンジュの歌は、極上の歌姫の歌に勝る歌声だった。
小さなエトワールから紡がれる極上の賛美歌を一片も逃さないように、レオナードは瞳を閉じて、ただ静かに耳をすませた。



歌い終わったエンジュは、瞳をそうっと開けた。
元々、音楽の成績だってよくなかった自分の歌を聞いて、レオナードは呆れて或いは機嫌を悪くしていないか、少し怖かったからだ。
会話の流れで気まずくなったから流れを変えようとして歌ったのだが、
もしかしたら逆効果になっているかも知れない。と歌っている途中で感じたのだ。
だが、エンジュ自身は込められるだけの思いや祝辞を歌に込めた。
それを拒絶されるのが怖くて、少々怯えながらレオナードを見たのだが……

(……え?)

レオナードはエンジュの考えていたような呆れた表情、また不機嫌そうな顔つきをしていなかった。
ただ、穏やかであった。
瞳を閉ざし、いつもの挑戦的な面影はなりを潜めていて、優しく暖かく―――微笑すら浮かべている。
その深みがある穏やかな微笑はレオナードの隠されている包容力のようで、エンジュは微かに頬を染めた。
トクトクトク、と高鳴る鼓動が感じられて、さらに頬が赤くなる。
訝しげに思ったのか、レオナードが瞼を上げた。
鋭い蒼灰色の瞳が真っ直ぐにエンジュを捕らえる。

「……エンジュ?」

真っ赤になっているエンジュを訝しんで呼んだ声は、少し掠れていて通常時よりセクシーにエンジュの鼓膜を擽る。
ますます真っ赤になったエンジュは、呪縛が解けたように一気にレオナードに向かってまくし立てた。

「す、すすすすすみません!!あの、その、あの、長居してしまって…!!
 そ、そそれではこれで失礼します!!レオナード様、お誕生日おめでとうございます!!よい一日を!!」

90度に近いお辞儀をすると、一目散にバタバタとエンジュはレオナードの執務室から出て行った。
その慌しさは、熟れた林檎のように赤くなっている頬を隠す余裕もなかったほどだ。

バタン、と尻すぼみな音を響かせて閉ざされた執務室に残ったのは、主のレオナードただ一人。
真っ赤な頬とどもりながらも逃げるように出て行った態度から、
エンジュの動揺を簡単に推測できたレオナードは、常通りの人の悪い笑みでニヤリと笑った。

「アイツもいっちょ前に……オンナの感性があるって事か」

クックック、と悪役染みた笑いのまま、置いていかれたプレゼントを手に取る。
添えられたカードには「Happy Birthday Leonard  From Enge」と女の子らしい柔らかな字体で書かれている。
そのカードを見てフッと微笑むと、レオナードはカードに小さくキスをした。


「この俺様をときめかすなんざ、たいしたエトワールだぜ」




―――――これはエンジュの誕生日に結ばれる二人の、少し前のお話。




Sorriso(歌/志方あきこ)より歌詞を一部抜粋

2006/9/15/up


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